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筑波大学ラグビー部のアイデンティティを紐解く100年を斬る10の視点(仮題):「チームを支える医学ドクター」記事の一部を先読み!

 筑波大学ラグビー部の100年は、指導者・プレイヤーだけのものではない。その歴史を語る時、さまざまな立場から部の発展を支えてくれた専門知識を持ったサポートスタッフの存在、そしてその役割の大きさを抜きにすることはできない。

 部の聡明期から現在まで、チームドクターとして筑波大学ラグビー部の発展を支えて頂いた3名の先生(河野一郎氏、奥脇透氏、宮本芳明氏)にご寄稿をお願いし、ご快諾を頂いた。貴重なご寄稿からは、筑波大学ラグビー部とドクターが作り上げてきた歴史が、そのまま、日本のラグビー界を支える基礎を作ってきたことをしっかりと実感できる。

 また現代のラグビーでは、ドクターだけではなく、選手の体を支えるための役割がさらに細分化されている。予防・リハビリを含めた「トレーナー」。強豪校と戦うための肉体を作る「栄養指導」。そして、身体能力を高めるための「ストレングス&コンディショニング(S&C)」。100周年の歴史の中では、比較的、近年の取り組みではあるが、日本一を目指し戦い続けるために、チームを支えてくれている3名のスタッフ(アスレティックトレーナー 大垣亮氏、栄養アドバイザー 渡邉千夏氏、S&Cコーチ 知念莉子氏)にもご寄稿頂いた。

 チームの永続的な発展には、今後も、専門知識を持ったサポートスタッフの力がますます必要になってくるはずだ。

黎明期医学チームの活動
筑波大学名誉教授/学長特別補佐 河野一郎

 「ラグビー外傷マニュアル」と題した冊子がある。開学まもない筑波大学医学専門学群に入学し医学チームを創った医学生が1982年に作成したものだ。この冊子こそ、筑波大学医学ラグビーチームがその黎明期に残した筑波大学ラグビー部のレガシーの1つである。その後、この冊子がもととなり、日本ラグビーフットボール協会が「ラグビーフットボール安全対策マニュアル」を1986年に発刊、日本ラグビーの医療面でのアカデミックな取り組みが整備されることとなる。

 当時の江田昌祐体育センター長が、以下のように寄稿されている。

 「本学は新構想の理念にもとづいて創設された。課外活動についても然りである。なる程、本学スポーツ活動の領域では、東京高師、文理大、東京教育大の伝統のもとに、その継承 と発展を期するものではあるが、更に、総合大学としての課外活動の在り方について抜本的な改善と発展を施策する千歳一遇の機会であったと考えられる。幸いにして、筑波大学ラグビークラブは、一つの大きな傘のもとに、営々とその活動を続けてきている。A、B、医学のチームがそれぞれ独自の特性をもちながら、協力的かつ貢献をしながら前進をしている。今回、医学の学生諸君が中心となったスタッフが、 ラグビー外傷マニュアルを創刊してくれることになった。これは、まさに本学課外活動の在るべき姿であるし、高等教育機関 のインテリジェンスとして最高級の評価が与えられるものといえよう。すなわち、本邦の多数ある大学、少なくとも医学コースを持っている大学の中ですら、この類書を見出すことは現在ではない。誇り高い成果として喜びに耐えない」

 黎明期にあったラグビー部のあり方、そして医学ラグビーの位置付けと方向性がクリアに示されている。英国留学を終えられた江田先生からをこのコンセプトを伺った時は新鮮であり、そのコンセプトに関わることへのワクワク感があった。個人的にもその後ラグビーとスポーツに深く関わるきっかけとなり、IRB(現、World Rugby)理事としてRWCの日本招致/開催を推進することもできた。このコンセプトは、日本開催のRWCで活躍した日本代表により、日本社会でも重視されはじめた多様性を先取りしたものであったように思う。

 Aチームは、体育専門学群を中心としながらも、医学を含め他の学群のメンバーが加わった多様性のあるチーム構成の時には溌剌としているように感じる。AチームのOBが、医学チームのコーチを務め、医学チームOBが、チームドクターを務めることは自然の流れで今でも続いている。

続きは、記念誌にてお楽しみ下さい。。

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