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概史:2009年(H21年)入学 荒木主将

30年間の全主将が思いを綴る1991〜2020年の概史より、2009年(平成21年)入学の荒木主将の寄稿を先読み!

 この度、創部100周年を迎え、大変喜ばしく感じるとともに、改めて茗溪(筑波)ラグビーに携われたことを誇りに思っております。また、100周年記念誌に寄稿する機会をいただきありがとうございます。

 私とラグビーの出会いは、幼稚園の頃、姉やその友達と飯事で遊び、犬役を楽しそうにする姿を心配した母が、「何か男の子らしいものはないか」と探し、幼稚園の友人が通っていたラグビースクールに連れていかれたことでした。南大阪ラグビースクールに所属し、幼・小・中と続け、その後、大阪府立生野(いくの)高校から筑波大学に入学。大学卒業後は、大阪に戻り、教職の道に進み、現在は母校である生野高校に赴任しております。今回は、“大学時代をふり返って”と、“ラグビーの普及”について、執筆させていただきます。

“大学時代をふり返って”

 今も私の土台となっている1年生について触れさせて頂きます。

 それまで所属してきたラグビー団体の中では、比較的優れたパフォーマンスを発揮する選手として過ごしてきた自分にとって、筑波でのラグビー生活はとても刺激的でした。繰り広げられる花園トーク(テレビで特集されていた桐蔭学園・伊藤矢一)、強さ・速さ・巧さ…何をとっても敵わない個のスキル。そんな中、特に印象的だったのは、新入生だけの別メニューで行った細かくステップを踏む練習で、自分よりサイズのある選手(黒沢尻北・渡邊太生)が、目の前から消えたことと、キックオフで蹴り上げられたボールを見上げる角度(茗渓学園・大野亮)が違ったことが本当に衝撃的でした。4年生が教育実習でたくさん抜け、何もできない中、Aチームに入った時には、CTBの4年生から厳しいお言葉をいただきました。対抗戦期間中の練習では、仮想相手チームとしてAチームの相手をさせてもらうのですが、何もできず、不甲斐なさからグラウンドで悔し涙が溢れてしまったこともありました。4年生引退後のアイルランド遠征も、当然ながら居残り組。1年生で帯同した者も複数あり、羨ましく感じたのも良い思い出です。苦しくも充実したこの1年は、私にとって本当に多くを学び、4年間の大学生活はもちろん、その後の人生においても本当に大きな1年だったように思います。この1年を腐らずに過ごせたのは、監督、コーチ、メディカルのスタッフの方々とのコミュニケーション、ウエイト班やアフター練で気にかけてくださった先輩がいたからです。月並みですが、苦難を乗り越えようとする過程には、多くの学びがあります。めげることなく、苦難に向き合い、打ち克ってください。

 そして最後に、苦楽をともにし、時に厳しく時に温かく接してくれた同期には本当に感謝しています。17人奇跡の夜、北海道合宿津別の屋上、イヤホン付けたSAQ、しょうもないコント、誕生日襲撃、長続きしない交換ノート、卒業旅行…挙げればキリがない、一生の宝になっています。。

続きは、記念誌にてお楽しみ下さい。。

2009年(平成21年)入学同期 @津別
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